1995年に阪神大震災が起こりました。
その時、長野県長野市にある国の地方事務所にいました。
いてもたってもいられず、震災ボランティアに応募し、その当時はネットも黎明期であり、情報交換できるのは電話や手紙のアナログ手段。
長野市のボランティアを派遣するための受け入れ先を探すため、現地に下見に行きました。

 

現地に行って、生まれて初めての衝撃を受けました。
「いつ死んでもおかしくない」
新幹線高架が落ち、高速道路も倒れ、家が潰れているのを目の当たりにし、今死んでもおかしくないということを感じました。

 

その時から、真剣に自分の人生について考えるようになりました。
「なぜ自分は生まれてきたのか?」
「何をするために生きているのか?」

 

考えた結果、「人のサポートをしたい」と想うようになりました。
「人のサポートとは何か?」
人の喜びが自分の喜びである、という想いを抱き、もちろん国家公務員も「公僕」ではありますが、もっとサポートできることがあるのではないか?と、直接的に、かつ、長い時間サポートすることのできる「宿泊業」にチャレンジすることにしました。
やったことなどないのに。

 

他人に考えをシェアすると「国家公務員という素晴らしい職場を辞めるのはもったいない」とほとんどの人に言われました。
私は片親で、母が苦労して育ててくれました。
大喜びしていた母の顔も浮かび、迷いましたが、「やりたいことをやらない方がもったいない」と思い、母に宿泊業をしてみる旨を伝えたところ、「自分の人生なので好きなようにしていいんだよ」と言ってくれました。

 

神奈川県の箱根で修業させてもらい、その後静岡県の熱海の宿泊施設で支配人をさせてもらうまでに必死で学びました。

 

宿泊業、特に旅館の場合、スタッフは住み込みが基本です。
つまり、住む所があって食事も支給されますから、着の身着のままでスタッフとなることができます。
そのレベルは、あまり高いものではありませんでした。
「どのようにしたら、スタッフのレベルを上げられ、お客さまが喜ぶサービスができるのか?」
心理学やコーチング、NLP、自己啓発のジャンルに関する学びを、忙しい中時間を取ってしていきました。

職場で活かしていく中で、伸びるスタッフと残念ながらそうではないスタッフがいることがわかりました。
「違いは何か?」
非常に簡単なことでした。
「目的を持っているか持っていないか?」です。
生存目的ではない、他人のために役立つ目的。
人はこれを「夢」と言ったりします。
もちろん、内側に誰もが持っていますが、信念や信条として持っているか?というとそうではないと思います。

 

自分の成長に伴い、今度はもっと大きな可能性にチャレンジしたいと思うようになりました。
そんな時、ふと新聞の求人欄を見ると、「公共の宿泊施設の支配人公募」という記事が目に留まり、チャレンジしたところ、合格し、長野県諏訪市の公共の宿泊施設の支配人として、独立採算するための権限移譲された役割を得ることができました。

 

人の採用も自分の裁量、資金を使うのも自分の裁量、値段を決めるのも自分の裁量。
ただし、赤字の施設を黒字化することが必須です。
この時、公共の宿泊施設の支配人としては最年少。
「若造に何ができるか?」と冷めた目で見られていたのも確かであり、プレッシャーもありました。

 

「目的を持っているスタッフを入れる、経験は不問、むしろ経験がない方が良い」
この考え方で、人を採用し、もちろん順風満帆ではありませんでしたが、1年で黒字化することができました。

 

そんな時に、映画マトリックスに出会うことに。
その中で、登場人物が語ります。
「入り口までは案内するが、扉は君自身で開けろ」
「運命なんて決して信じてはダメ、人生は自分で決めるものよ」

 

この時気付きました。
お客さまももちろんだけれども、関わる人をサポートし持っている力を引き出し、その力に灯をともすのが自分の存在意義なのだと。

代わりに行動することもできなくはありません。
しかし、体験を奪うことになります。

自分の存在意義に気付いたものの、全ての人にできるかどうかはわかりません。
できるかどうかは大切ではなく、するかどうかが大切だとも気づきました。

宿泊業に携わって、多くはありませんが、自分の目的に沿って独立開業するスタッフも現れました。
自分のことのように嬉しく思います。

このような体験・経験から、私の存在意義は、
「人の喜びが自分の喜び」だけでなく、「人の成功が自分の成功」であるとも感じます。